備蓄品備忘録 その1
- 2016/10/11
- 11:59
いつもブログをごらんいただき、ありがとうございます。
今回は、仙台在住のある方が東日本大震災3.11の数ヶ月前から、何故だか分からないけれども備蓄を始め、そして地震に遭遇、その後の避難生活を振り返って書かれた備忘録を紹介します。長いので何回かに分けて紹介したいと思います。なお、これが書かれたのは3年前のため、現在の状況に合わせて一部改編させていただいております。
大変な状況を体験された方だからこその内容です。ぜひ参考になさって下さい。
1.地震前
2016年は熊本での大地震があり、そして自然災害だけではなく経済の混乱や政治の乱れなど、様々な問題が発生しています。今、備えておかないと、いざという時に慌てても物資はありません。本当に無くなるんです。
変な物の言い方になりますが、自分は身をもって体験しておりますので、本当に備えがその後を大きく左右するのを痛感しています。3.11の時、数ヶ月前からもう気が狂ったようにネットで毎日のように取り寄せをし、車で量販店に行っては生活必需品・消耗品を買いまくり、8畳の和室が備蓄品で埋まる状況で、さすがに子供に呆れられるというか心配された経緯があります。そのおかげで避難所に行かず、自宅避難を続ける事が出来、姉一家も一緒に乗り切る事が出来ました。
今思えば、まさに取り憑かれていたのだと思います。いつもお守り下さっている方々が自分に代ってそうさせて下さったのだと思います。本当にありがたいことです。
それから、現金は手元に無いと立ちいかなくなります。全て止まりましたから。結局は頼れるのは自分です。いかに危機感を持ってあらゆる準備が出来ているか分け目ですね。 助け合いは自然に出てきます。でもまずは備蓄です。
普段から皆さん、備えていらっしゃるとは思います。ただ、目にする情報を見ていると高いばかり、高くてそんなセット何するの?といつも感じています。わざわざ災害に備える特別な物は、使い捨てトイレなどごく限られ物だけです。普段使っているもの、口にしているもの、慣れているものでいいんです。非常時ほど普段のものがホッとするんです。それでなくても精神状態は不安と怖さと諸々で、発狂寸前の紙一重なんですから。
何よりも、ご自分の命を大切に一番に考えて下さい。命があってこそ初めて、次があります。その助かった命を繋ぐ為に出来る事を一生懸命考えて下さい。起きてからでは準備出来ない物・事がたくさんあります。今ならまだ間に合います。
ご自分のお住まい・職場・家族の行動と居場所、それぞれの状況と可能性を考えて、あらゆるシュミレーションをして備えて下さい。ご自宅がある場所はどんな土地だったのかは、役所やネットで調べられます。避難場所はもちろん、収容可能人数や備蓄品の量を調べ、万が一の際の第2・第3候補も調べておくといいかもしれません。避難経路も大切です。ご家族との連絡方法・集合場所や伝言方法、電話やメールは遠くにお住いの方経由ですと比較的繋がりやすいです。自分とは違う地域にお住まいの親戚や友人など、イザという時はそこを連絡先にするなど、事前に家族みんなで決めておきましょう。
3.11の震災後、避難所の対応が変わりました。いわゆるトリアージ(緊急性を判断し優先順位をつける)が確実に行われます。基本的に避難所はご自宅が全壊・半壊・火災被害・津波被害などで使用不可になった方の為の場所になります。一旦避難所に入れても、後日トリアージ判断で退去の可能性もあります。そうなった場合も考えて、備えて下さい。
私は最初から避難所へは行くつもりはありませんでしたが、春休みで自宅に居た娘に、管理人から早く避難所(学校)へ行くように再三言われたそうです。揺れた直後に娘から電話が入りそのまま切れるまで話し続け、あらゆる物が飛んで娘が叫びまくる生中継を身を削られる思いで聞きました。その際に、今のところ自宅が一番安全だから帰宅するまで我慢して待っているように話しました。
後から聞いた話ですが、学校は人が溢れ、入れなかった人がぞろぞろと校庭や道路に溢れ、仕方なく自宅に戻ったそうです。外は真っ暗、自宅は片づけないと入れない、避難所からは断られ、途方に暮れたそういう方々の多くが車で過ごされていました。
私は帰宅してから娘と二人、少しでも明るい内にと家の中の通路を確保し、必要なものをリュックに詰め、ブレーカーを落とし、ガスの元栓を閉め、しっかり施錠をして姉一家の安否確認に行きました。
2.震災時の状況について
私は仙台市内の、海と反対の平野奥地のマンションで生活しています。ここに書くのはあくまで津波被害が無く、マンションも倒壊を免れ、何とか自宅で生活出来るというのが前提条件です。私のマンションは、たまたま前年秋に大規模修繕と耐震強化工事を終えたばかりでした。皆さんそれぞれ条件が違ってくると思いますので、適宜参考にして下さい。
姉一家のマンションが隣にあり、余震も多く、それぞれ子供たちもいるので、安全の為にみんなで一緒にいた方が良いとなり、姉のマンションで過ごしました。姉の部屋が5階、自分は地下1階がエントランスの7階(実質8階)に居住。当初エレベーターが止まっていたので、荷物を取りに行ったり、自分の家に皆でトイレに行ったり、一日にかなりの階段の上り下りがあり、足の筋肉がつきました。
・震災後、一週間を姉のマンションの集会所で過ごす。布団と食事・生活品は各自持ち込みでした
・一週間後、姉のマンションで姉家族と共に自宅避難所生活開始
大人3人 大学生3人 高校生1人 中学生1人 小学生1人 計8人
・ライフラインは電気が4日目、水道が一週間後に回復。ただし安全点検完了まで使用禁止でした
※ブレーカーを落として避難して下さい!通電時火災発生の原因になります!
・姉のマンションは貯水槽が壊れ、仮復旧は40日後。それまでひたすら水汲みを続ける
・自分の自宅マンションの水道は一週間後から使用可。トイレ・洗濯機も同様
・エレベーターは自分のマンションが8日後、姉のマンションは10日後回復(業者点検確認の為)
・ガスは約1ヶ月後の復旧。調理は全てホットプレート使用。電気ポットもかなり重要
・電気が使えない場合は調理にカセットコンロ使用
・暖房器具は、停電時は石油ストーブ。灯油は買置きが無いとアウト
・電気復旧後は電気ストーブ・エアコン等が命綱。当初はひたすら着込み、毛布を被り使い捨てカイロでしのぐ
・ガスが止まっているためお風呂に入れないので、ひたすら電気ポットでお湯を沸かして拭くのみでした
次回は、この方が買い置きしていた物品を紹介します。
今回は、仙台在住のある方が東日本大震災3.11の数ヶ月前から、何故だか分からないけれども備蓄を始め、そして地震に遭遇、その後の避難生活を振り返って書かれた備忘録を紹介します。長いので何回かに分けて紹介したいと思います。なお、これが書かれたのは3年前のため、現在の状況に合わせて一部改編させていただいております。
大変な状況を体験された方だからこその内容です。ぜひ参考になさって下さい。
1.地震前
2016年は熊本での大地震があり、そして自然災害だけではなく経済の混乱や政治の乱れなど、様々な問題が発生しています。今、備えておかないと、いざという時に慌てても物資はありません。本当に無くなるんです。
変な物の言い方になりますが、自分は身をもって体験しておりますので、本当に備えがその後を大きく左右するのを痛感しています。3.11の時、数ヶ月前からもう気が狂ったようにネットで毎日のように取り寄せをし、車で量販店に行っては生活必需品・消耗品を買いまくり、8畳の和室が備蓄品で埋まる状況で、さすがに子供に呆れられるというか心配された経緯があります。そのおかげで避難所に行かず、自宅避難を続ける事が出来、姉一家も一緒に乗り切る事が出来ました。
今思えば、まさに取り憑かれていたのだと思います。いつもお守り下さっている方々が自分に代ってそうさせて下さったのだと思います。本当にありがたいことです。
それから、現金は手元に無いと立ちいかなくなります。全て止まりましたから。結局は頼れるのは自分です。いかに危機感を持ってあらゆる準備が出来ているか分け目ですね。 助け合いは自然に出てきます。でもまずは備蓄です。
普段から皆さん、備えていらっしゃるとは思います。ただ、目にする情報を見ていると高いばかり、高くてそんなセット何するの?といつも感じています。わざわざ災害に備える特別な物は、使い捨てトイレなどごく限られ物だけです。普段使っているもの、口にしているもの、慣れているものでいいんです。非常時ほど普段のものがホッとするんです。それでなくても精神状態は不安と怖さと諸々で、発狂寸前の紙一重なんですから。
何よりも、ご自分の命を大切に一番に考えて下さい。命があってこそ初めて、次があります。その助かった命を繋ぐ為に出来る事を一生懸命考えて下さい。起きてからでは準備出来ない物・事がたくさんあります。今ならまだ間に合います。
ご自分のお住まい・職場・家族の行動と居場所、それぞれの状況と可能性を考えて、あらゆるシュミレーションをして備えて下さい。ご自宅がある場所はどんな土地だったのかは、役所やネットで調べられます。避難場所はもちろん、収容可能人数や備蓄品の量を調べ、万が一の際の第2・第3候補も調べておくといいかもしれません。避難経路も大切です。ご家族との連絡方法・集合場所や伝言方法、電話やメールは遠くにお住いの方経由ですと比較的繋がりやすいです。自分とは違う地域にお住まいの親戚や友人など、イザという時はそこを連絡先にするなど、事前に家族みんなで決めておきましょう。
3.11の震災後、避難所の対応が変わりました。いわゆるトリアージ(緊急性を判断し優先順位をつける)が確実に行われます。基本的に避難所はご自宅が全壊・半壊・火災被害・津波被害などで使用不可になった方の為の場所になります。一旦避難所に入れても、後日トリアージ判断で退去の可能性もあります。そうなった場合も考えて、備えて下さい。
私は最初から避難所へは行くつもりはありませんでしたが、春休みで自宅に居た娘に、管理人から早く避難所(学校)へ行くように再三言われたそうです。揺れた直後に娘から電話が入りそのまま切れるまで話し続け、あらゆる物が飛んで娘が叫びまくる生中継を身を削られる思いで聞きました。その際に、今のところ自宅が一番安全だから帰宅するまで我慢して待っているように話しました。
後から聞いた話ですが、学校は人が溢れ、入れなかった人がぞろぞろと校庭や道路に溢れ、仕方なく自宅に戻ったそうです。外は真っ暗、自宅は片づけないと入れない、避難所からは断られ、途方に暮れたそういう方々の多くが車で過ごされていました。
私は帰宅してから娘と二人、少しでも明るい内にと家の中の通路を確保し、必要なものをリュックに詰め、ブレーカーを落とし、ガスの元栓を閉め、しっかり施錠をして姉一家の安否確認に行きました。
2.震災時の状況について
私は仙台市内の、海と反対の平野奥地のマンションで生活しています。ここに書くのはあくまで津波被害が無く、マンションも倒壊を免れ、何とか自宅で生活出来るというのが前提条件です。私のマンションは、たまたま前年秋に大規模修繕と耐震強化工事を終えたばかりでした。皆さんそれぞれ条件が違ってくると思いますので、適宜参考にして下さい。
姉一家のマンションが隣にあり、余震も多く、それぞれ子供たちもいるので、安全の為にみんなで一緒にいた方が良いとなり、姉のマンションで過ごしました。姉の部屋が5階、自分は地下1階がエントランスの7階(実質8階)に居住。当初エレベーターが止まっていたので、荷物を取りに行ったり、自分の家に皆でトイレに行ったり、一日にかなりの階段の上り下りがあり、足の筋肉がつきました。
・震災後、一週間を姉のマンションの集会所で過ごす。布団と食事・生活品は各自持ち込みでした
・一週間後、姉のマンションで姉家族と共に自宅避難所生活開始
大人3人 大学生3人 高校生1人 中学生1人 小学生1人 計8人
・ライフラインは電気が4日目、水道が一週間後に回復。ただし安全点検完了まで使用禁止でした
※ブレーカーを落として避難して下さい!通電時火災発生の原因になります!
・姉のマンションは貯水槽が壊れ、仮復旧は40日後。それまでひたすら水汲みを続ける
・自分の自宅マンションの水道は一週間後から使用可。トイレ・洗濯機も同様
・エレベーターは自分のマンションが8日後、姉のマンションは10日後回復(業者点検確認の為)
・ガスは約1ヶ月後の復旧。調理は全てホットプレート使用。電気ポットもかなり重要
・電気が使えない場合は調理にカセットコンロ使用
・暖房器具は、停電時は石油ストーブ。灯油は買置きが無いとアウト
・電気復旧後は電気ストーブ・エアコン等が命綱。当初はひたすら着込み、毛布を被り使い捨てカイロでしのぐ
・ガスが止まっているためお風呂に入れないので、ひたすら電気ポットでお湯を沸かして拭くのみでした
次回は、この方が買い置きしていた物品を紹介します。